1991.3.15 BonVoyage

米国の蛮行に救いは?

2003年04月09日

イラク戦争:
米少女の反戦スピーチ、ネットで世界中に

 「みなさんが殺そうとしているのは私みたいな子供なのです」。米国の13歳の少女が地元集会で披露した戦争反対のスピーチが、インターネットを通じ世界中を駆け巡っている。日本語など少なくとも9カ国語に翻訳され、少女に届いた反響のメールは3000を超えた。バグダッドでの戦闘が激化する中、勇気を出して聴衆の前に立った少女の様子などを伝えるメールが、母親から毎日新聞に届いた。

 少女はシャルロット・アルデブロンさん。カナダ国境に近い人口約1万人の町メーン州プレスクアイルに、母親で弁護士のジリアンさん(49)と暮らす中学生だ。

 毎日新聞はジリアンさんあてに、スピーチの様子などをメールで問い合わせた。返信は米軍がバグダッドに侵攻した今月5日に届いた。

 ジリアンさんによると、スピーチは開戦の空気が強まっていた2月15日、地元の平和集会で150人を前に行った。91年の湾岸戦争後のイラクの子供の苦境を伝え、「イラク国民の半分は私と同じ子供であり、わが子に置き換えて考えて」と訴えた。

 2月18日に、米国のホームページで紹介されると、瞬く間に世界に広がった。これまでフランス、スペイン、ベトナム、朝鮮、ベンガル、デンマーク語などに訳されたという。ジリアンさんは「世界でどのくらいの数のホームページで紹介されているか、自分たちにも分からない」と語る。

 反響のメールで、英国の男性は「私たち大人がシャルロットさんのような若者の声にもっと耳を傾ければ、世界はもっとよくなる」と寄せた。日本の男性は「希望を失わず、未来に向かって生きて」とシャルロットさんを元気づけた。

 ジリアンさんは「スピーチには勇気が必要だった。米国では、誰もが戦争に賛成しているとメディアが人々に思わせていたからだ。娘もスピーチをためらったが、集会で参加者から大きな拍手を受けて心配は吹き飛んだようだ」と振り返る。シャルロットさんは「平和を求める声は今後も広がると思う」と話しているという。 【宍戸護】

 ………………… <スピーチ内容> ……………………

 「イラクの子供たちはどうなるの?」

 イラク攻撃を考えるとき、人々が思い浮かべるのは軍服姿のサダム・フセインや口ひげをはやした銃を持つ兵士、アル・ラシッドホテルでロビーの床に「犯罪者」と書かれたジョージ・ブッシュ元米大統領のモザイク画でしょうか。

 でも考えてみてください。イラク国民2400万人のうち半分以上は15歳より下の子供です。1200万人は私と同じような子供なのです。私は13歳になりますが、イラクの子供は少し年上か年下の子供です。女の子ではなく男の子かもしれない。髪の毛は赤毛ではなく茶色かもしれない。しかし、ちょうど私みたいな子供なのです。私を見て、よく見てください。イラク攻撃を考えるとき、思い浮かべないといけないのは私です。みなさんが殺そうとしているのは私なのです。

 私は運が良ければ、一瞬で死ぬでしょう。91年2月16日、バグダッドの防空ごうに落ちたスマート爆弾で殺された300人の子供のように。爆風を伴う激しい炎により、母子の姿が壁に焼き付けられました。みなさんは今でも石壁に張り付いた黒い皮膚を、湾岸戦争勝利の記念品として、はぎ取ることができます。

 しかし、運に恵まれず、時間をかけて死ぬかもしれません。今、バグダッドの小児病院の「死の病棟」にいる14歳のアリ・ファイサルのように。アリは湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾が原因とされる悪性リンパ腫(ガン)になったのです。また、私は苦しみながら死ぬかもしれません。寄生虫に内臓を食われている生後18カ月のムスタファみたいに。ムスタファはわずか25ドルほどの薬で完治できるのに、制裁のために薬が何もないのです。

 私は死なずに、外から見えない精神的なダメージを抱えて生き続けるかもしれません。サルマン・ムハンマドのように。彼は91年のイラク攻撃(湾岸戦争)で妹と生き延びましたが、その時の恐怖を忘れられません。サルマンの父は、生きるも死ぬも一緒と家族を同じ部屋で寝させました。サルマンは今でも空襲警報の悪夢にうなされます。

 アリのように孤児になるかもしれません。アリが湾岸戦争で父を失ったのは3歳でした。3年間毎日、ほこりをかぶった父の墓を通い「お父さん、大丈夫だよ。出て来ていいよ。お父さんを閉じ込めた奴はいなくなったよ」と叫び続けました。でも、アリ、そいつらが戻ってくるみたいなの。

 ルアイ・マジッドのように無傷で済むかもしれません。ルアイは湾岸戦争で学校に行く必要もなかったし、いくらでも夜更かしできたでしょう。しかし、今、教育を受けなかったために、路上で新聞を売って生活しようとしています。

 これが自分の子供やめい、おい、近所の子だったらと想像してほしい。みなさんの息子が手足を切られて苦痛でうめき声を上げても、和らげてあげることもできないと想像してください。みなさんの娘がビルの瓦礫の下で埋もれて泣き叫んでいるのに、助けられない。みなさんの子供があなたが亡くなったのを目の前で見た後、お腹をすかし1人で町をさまよっているのです。

 これは冒険映画でも空想でもビデオゲームでもありません。イラクの子供たちの現実なのです。最近、国際的な調査団がイラクを訪問し、戦争が起きたことが子供たちにどういう影響を与えているかを調べました。子供のうち半分は何のために生きているのか分からないと答えました。本当に小さな子供さえ戦争を知っており、不安がっていました。5歳のアッセムは「銃と爆弾と空気は冷たくも熱くもなる。僕たちは焼けちゃうんだよ」と言いました。10歳のアセサルのブッシュ米大統領あてのメッセージがありました。「イラクの多くの子供が死ぬでしょう。あなたはそれをテレビで見て後悔しますよ」という内容です。

 小学校のころ、問題を解決するには、叩いたり、ののしり合うのではなく、話し合い、「私ならば」の気持ちを持つように教えられました。それは、相手の行動がみなさんにどのような嫌な思いをさせているか分からせることです。他人の身になって考えることです。そうすれば、その人はみなさんのことを理解し、やめるようになります。

 今、私はみなさんに「私ならば」を、いえ「私たちならば」を伝えたい。悪いことが起きるのを救いもなく待っているイラクの子供たちが「私たちならば」。何も決めることができないのに、あらゆる結果に苦しめられる子供たちが「私たちならば」。声が小さく遠いため聞き取ってもらえない子供たちが「私たちならば」。

 私たちは明日、生きることができないかどうか分からなければ、怖いです。

 私たちが殺されてり、傷つけられたり、未来を奪われようとするならば、怒りを感じます。

 私たちが望むのは両親が明日も生きていることだけなんて悲しくなります。

 最後に、私たちは途方にくれています。私たちには、悪いことをしたかどうかも分からないからです。

 シャーロット・アルデブロン、13、カンニンガム中学校、プレスクアイル、メーン州、感想は母親のジリアン・アルデブロンに送られるかもしれない。

[毎日新聞4月9日]







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