1991.3.15 BonVoyage

米国の伝統を壊したブッシュ外交姿勢

イラク戦争を考える
 かつての湾岸戦争の直後に、父親のブッシュ大統領は「新しい世界秩序」を唱えたことがあった。しかし、「ビジョンという代物」を苦手とした彼は、ポスト冷戦期の新しい国際秩序像を描くことなく終わった。それにひきかえ、息子のブッシュは、にわかに日本でも話題にされるようになった、共和党右派の「新保守主義者(英語の略語でネオコン)」と呼ばれ、強烈なイデオロギーを信奉する人々に押し上げられ、大統領に就任した時には考えられなかったような、極めてイデオロギー的性格の濃い内外政策を推進しようとする指導者になっている。
 「ネオコン」に欠けているのは、謙虚さの美徳である。大統領選挙戦中のブッシュは、米国の対外態度は、謙虚でしかも力強く自由を推し進めるものでなければならない、と論じたはずだった。彼が提唱した政治姿勢は、「思いやりのある保守主義」だった。しかし、少なくとも今日現在、「信仰心によって生まれ変わった」敬虔なキリスト教徒であるブッシュと、左翼から転向したユダヤ系知識人を核する「ネオコン」たちの組み合わせからは、第二次世界大戦直後に、アイゼンハワー連合軍総司令官が、勝利をもたらした栄誉は地下に眠る死者たちへの想いを消すことはない、と述べた謙虚さは伝わってこない。
 「ネオコン」が一部の学者や評論家たちの主張にとどまらず、米国の政治権力の中枢にくい込んだことによって、アメリカ外交論の多くは書き改められねばならなくなった。冷戦初期の米国の言論界では、今日の流行語でいう「パブリック・インテレクチュアル」たちの主流はリベラリズムであり、代表的なニューヨーク知識人、ライオネル・トリリングは、保守主義のことを「思想のようにも見える過敏な知的ジェスチャー」だと片づけていた。

レーガン時代に転機の源が

 私はたまたま、リベラリズム全盛期の1950年代に米国に留学し、後半はコロンビア大学で学んでいたので、当時の反共リベラリズムの空気を吸って暮らしていたことになる。今日の「ネオコン」の元祖たちは、まだラディカルからリベラルに移って論陣を張っていた。
 しかし、国内政策では中央政府が経済の運営に責任をとって繁栄と福祉の向上を目指し、対外政策では対ソ封じ込め政策によって核戦争抑止をはかってきたリベラリズムの政治が、ベトナム戦争での無残な挫折を契機として力を失っていったのに反比例して、保守主義の言論が勢いを得てきた。
 1930年代に若きトロツキストだったアービング・クリストルは、元来軽蔑の呼び方として使われた「ネオコン」という言い方をあえて引き取り、今日では「ネオコンのゴッドファーザー」と呼ばれている。80年代に、対ソ連強行姿勢を打ち出したレーガン大統領に共鳴した民主党系知識人の代表的論客になったクリストルは、ニューディール以来のリベラリズムの旗手をもって任じたアーサー・シュレージンガーと、読み応えのある論争を交わしていた。

2種類の思想生むテキサス

 ルーズベルト大統領のニューディール政策の継承を目標としたリンドン・ジョンソン大統領も、現大統領のブッシュも、共にテキサス州出身である。しかし、自分自身テキサス人である政治評論家、マイケル・リンドによれば、テキサスは一つではなく、歴史的・地理的・文化的に大きく異なるテキサスがあるという。一方では、ニューディールからの今日のハイテク産業につながるリベラルな土壌から、ジョンソンのように黒人の権利を守る立法を実現させる政治家が生まれた。
 他方、ブッシュの方は、黒人奴隷労働の上に築かれた大農園制の伝統が根強く残り、不法入国移民を低賃金で働かせ、石油採掘とそれにまつわる利権で栄える富裕層を生み出し、宗教も極めて保守的で、ダーウィニズムを受け入れないキリスト教原理主義者が多い部分のテキサスの産物である。リンドの説に従えば、旧約聖書の教えを信奉し、反ユダヤ主義ではあるがイスラエルの存在は認めるキリスト教原理主義者と、ユダヤ系アメリカ人が多い「ネオコン」たちとの、両者の支持の上に立っているのがブッシュ政権ということになろう。ブッシュすなわち米国ということではない。
 「米国は化け物を退治するために海外に出て行くことはせず、すべての人々の自由と独立をひたすら願うと、1821年に当時の国務長官、ジョン・Q・アダムズは述べた。ブッシュ大統領に求められるものは、米国外交の伝統の良き遺産を今日に生かし、かつてのケナンやリップマンの賢慮を謙虚に学ぶことであろう。 

本間 長世

東大名誉教授(米国史研究)

 



2003年4月17日朝日新聞<文化>




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